ミャンマーの近代史を語るうえで欠かせない、最重要人物のアウンサン将軍は、ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー氏の父親でもあります。彼の命日は、1947年の4月19日。ある人物の暗殺によって、激動の生涯を終えてしまったのです。
その「ある人物」こそが……
植民地下のビルマで首相も務めていた、政治家のウーソオ(U Saw)です。
経営者 × 政治家
1900年、裕福な家庭の下で生まれたウーソオ。まず経営者として表舞台に登場しました。実家の援助を受けながら、ビルマ字新聞「トゥーリヤ」の株式を取得することに成功したのです。
1920年代末には、英国領インドビルマ州の植民地議会議員となり、当時の主流派であったビルマ人団体総評議会に所属します。その際には、彼が編集主幹を務めていた「トゥーリヤ」も活用しながら、徐々に政治的影響力を高めていきました。1938年には独立して、愛国党を結成します。
そして1940年、彼は遂にビルマの首相となったのです。
列強国に翻弄されて……
首相になったウーソオは、翌年にロンドンを公式訪問します。1941年と言いますと、第二次世界大戦の真っただ中。特に序盤は、ドイツやイタリアをはじめとする枢軸国の勢いに、英国は大変苦しめられていました。そこでウーソオは、対日協力を約束する代わりに、ドミニオン(英国王を元首とする独立国)への引き上げを要請しようと目論んでいたわけです。
しかし計画は失敗。チャーチル首相の反応は鈍く、ウーソオは落胆しました。その後は米国、そしてカナダへも向かいましたが、収穫はゼロ。諦めるわけにもいかず、オーストラリアへ向かおうと考えます。給油のためにハワイへ到着したのが、1941年の12月7日。その日、ウーソオは日本軍の真珠湾攻撃を目撃しました。
首相の解任
日本軍の威力を目の当たりにしたウーソオは、これまでの計画をガラリと転換。日本軍への協力を打診するため、中立国ポルトガルの日本大使館へ向かいました。
訪問を終え、ようやく本国へ帰ろうかというウーソオ。しかしそこで、予期せぬ事態が発生します。日本大使館が東京の外務省へと発信した暗号電報が全て、米国海軍に傍受されていたのです。
帰国途上のウーソオを、英国はパレスチナで拘束します。しかしながら、裁判をするには証拠の提出が必要です。開戦直後の日本に、米国海軍の暗号傍受能力を知られてしまうわけにもいかないので、ウーソオは(英国ではなく)ウガンダに抑留されました。
終戦後、政界は一変
1946年1月29日。4年4か月ぶりに、ウーソオはビルマへと帰国しました。そこでウーソオは仰天します。政界があまりにも変わりすぎていたのです。若きニューリーダー、アウンサン将軍によって、政治的には既に過去の人物となっていたウーソオ。なんとかまた、かつてのように国内政治の中心へと舞い戻りたい。そこで彼の取った行動は、あまりにも無謀なものでした。
ウーソオは、反アウンサンの思いを持つ英国軍人から、密かに武器を購入します。その武器を部下へ手渡し、アウンサン将軍ら、当時のミャンマー政界における重要人物が集まる、行政参事会を襲撃させたのです。
ウーソオはすぐに逮捕され、死刑を宣告されます。英国人や国内の政治家が入れ知恵したという説もありますが、真相は未だ闇の中です……。
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