ミャンマーの旧国名はビルマ。現在は国名がミャンマー(Myanmar)に変わりまして「ミャンマー連邦共和国」ということになったわけですが、東京外国語大学で学ぶことが出来るのは、ミャンマー語ではなくビルマ語(東外大言語モジュール|ビルマ語)。販売されている書籍の多くも、「ビルマ語入門」「ビルマ語辞典」「ビルマ語会話」などと、現在も「ビルマ」と呼称され続けているわけです。これは何故なのか。そもそも、何故ビルマに変わったのか。いくつか書籍を読んでみたところ、その理由が何となく分かってきましたので、皆さんにもご紹介。
実は独立以前から「ミャンマー」だった……?
ミャンマーのミャンマー語による名称は、なんと独立前からずっと「ミャンマー(Myanmar)」だったそうです。ミャンマー人が、ミャンマー語で「ビルマ」と呼称していた時期は、歴史上に1度もありません。その理由というのが、「書き言葉」と「話し言葉」の違いです。
すなわち、ミャンマー人は、喋り言葉であれば「バマー」という呼称を使い、書き言葉であれば「ミャンマー」という呼称を使ってきた、というわけなのです。2つの呼称は、12世紀辺りに生まれた「ムランマー」という同じ語源がルーツにあり、国内では自然に使い分けられていたそうです。
変わったのは英語名だけ
皆さんご存知の通り、ミャンマーは1989年に自国の国名を「ビルマ」から「ミャンマー」へ変更したわけですが、前述したとおり、ミャンマー人は、書き言葉であれば「ミャンマー」という呼称を使っていたわけで、この1989年に変更したのは、英語名だけということになります。つまり、「これからはこう呼んでくださいね」と対外的にアピールしただけの話だったわけです。
それ以前まで、国際社会では英語名称の「バーマ(Burma)」が広く知られていたわけですが、明治時代初期、日本にはオランダ語の「Birma」という呼称が流入して、ビルマと呼ばれるようになっていました。
軍事政権下で謎の変更
しかし1989年6月、国内の民主化を封じ込めたミャンマー軍事政権は、突然、英語の国名を「ミャンマー」に変更すると宣言しました。これは何故なのか。当時の軍事政権は、その理由をこのように説明していました。
一瞬、もっともな事を言っているように聞こえますが、この言い分にこれといった歴史的根拠はありません。ビルマ族だけでなく、少数民族も喋り言葉では「バマー」と言っていましたし、書き言葉では「ミャンマー」でした。それに対する反発があったわけでも無かったようです。当時の軍政の真意は、私にも良く分かりません。今後ももう少し書籍を読んで、調査を続けてみたいと思います。
何故「ビルマ語」?
こちらに関してもハッキリした理由は分かりません。国名はミャンマーに切り替わりましたが、言語としてのミャンマー語はビルマ語と呼称している、ということなのでしょうか。
この点で私が面白いと思ったのは、「切り替わったのは英語名だけなので、日本が追随して「ビルマ」から「ミャンマー」へ呼称を切り替える必要はあったのか」という主張です。確かに、現在我々が「オランダ」と呼んでいる国の英語名は「Netherlands」ですし、「イギリス」は「United Kingdom」、さらに言えば「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」です。欧米が「Myanmar」と呼んでいるので、日本も「ミャンマー」と呼ぼう。こういった姿勢は果たして正しいのか、という主張。これには私も「なるほど」と感じました。そう考えると、日本語の呼称はビルマのままでも良かったのかもしれません。