ミャンマーのはなし

東南アジアのユニーク国家、ミャンマーに関する情報を発信していきます。

ミャンマーのはなし

多種多様なミャンマー国旗の変遷について

数百年の歴史の中で政治体制や宗主国が何度も切り替わっていったミャンマーは、多種多様な「国旗」の歴史も持っています。まとめてみました。

 

 

コンバウン朝時代

ミャンマーの国旗

1752年から1886年まで存在していた、ビルマ最後の王朝です。西へ西へと領土拡大させていった結果、隣国のインドを支配する大英帝国と衝突。1824年には英緬戦争が勃発しました。

三度に渡る英緬戦争に敗れ、1886年には完全に英領インド帝国に併合されてしまいます。

 

英領インド時代

1824年から1937年の期間、ミャンマーイギリス領インド帝国の州の1つとして位置づけられていました。1938年に別個に支配されるようになるまではこの国旗が使われていたようです。

 

英領ビルマ時代

インドの下ではなく英国から直接支配されるようになったミャンマーは、上記の国旗を使っていました。また、1941年からの1年間は、限定的に下記国旗も使われていたようです。

 

独裁者タンシュエの、嘘か本当か分からないエピソードについて

以前ご紹介したタンシュエについての書籍ですが、読んでみると彼の生い立ちだけでなく、にわかには信じ難い驚愕のエピソードも多く記載されていました。

www.yangon.tokyo

 

本記事ではそちらのエピソード部分についてシェアできればと思ってます。

謎の多い人物なので、脚色もしくは架空の話であるという可能性もあります。

都市伝説的な感じで、話半分に読んで頂ければと思います。

→ 個人的には「どれもあり得るな」という印象持ってますが……

 

 

娘の結婚式で5000万ドルが飛び交う

2006年6月。彼女の娘であるタンダーシュエゾーピョーウィン少佐の結婚式が開かれました。この際、利権を求める政商や軍人たちから総額5000万ドルに及ぶ結婚祝いが飛び交ったそうです。

5000万ドルって。東MAXの結婚式も結構豪華でしたが、もうレベルが違います。海外首脳ももちろん呼ばれていたらしく、リー・クアン・ユー(当時のシンガポール首相)は、宝石に身を包んだ彼女の姿を「クリスマスツリーみたいだ」と評した、との噂。結構言いますね……

  

疑惑の宝石

その結婚式で着けていた宝石は、モーゴウで最も裕福とされる宝石店の家族が貸し出したものなのですが、この家族はなんと、しばらくして何者かに殺害されてしまいます。監視カメラのスイッチも切られていたので真相は藪の中ですが、ひょっとすると……という話も国内にはあるようです。怖……。

この宝石店については、以前こんな話もありました。

winjapn1789.livedoor.blog

 

国軍に金を買わせる?

2008年には、タンシュエの別の娘が、マンダレーの22番街にある貴金属店を訪れ、1億チャット相当(1000万円くらい)の装飾品を買っていきました。この際、支払いは現地の国軍司令官に命じたと言われています。

まぁ日本でも市長が公費でセンチュリー買ったりしてますから、この辺は比較的有り得そう、かな?

 

中国に土地を売った?

その一年前には、次女のキンピョーシュエが、中国の投資会社に土地を売って2億ドルを稼いだという情報も。手続きは一週間で完了したそうですが、その真偽は……?

 というか金額がいちいち凄い。

 

黒い繋がり?

息子のチャイサンシュエは、違法な賭博業に関与していたとの噂。現在も各種ビジネスに勤しんでいるらしく、クラシック・インターナショナル・カンパニーという地場の建設グループは、彼が経営している、らしい…… 

 

デパートの発電機をゲット

2002年、タンシュエ一家はモールメインのデパートへ行った。店が使用していた発電機を気に入り、トラックに積んでヤンゴンへ配送させた、とかなんとか。

 

孫が マンU買収を要望

孫のエーシュエトゥエアウンはサッカーが好きで、タンシュエは孫に頼まれて、マンチェスター・ユナイテッドの買収を検討したことがあるなんて話も。

マンU欲しい」って、私も言ってみたい。

 

ヒマワリ畑を栽培せよ

国内を視察していたタンシュエ。訪問先で出された野菜に、ひまわり油をかけたいと言い出しました。なんとか探し出して差し出すと、何の気なしに「この辺の農家がみんなヒマワリを育てれば良いのにね」と発言。すると直ちに一帯の農家に、ヒマワリ畑を栽培せよとの命令が下された、とのこと。これはちょっと面白いですね。